病気(障がい)のせいにして逃げるな!と思ったら・言われたら知りたい裏の心理と事情

病気や障がいなど、人生や生活に影響を及ぼす問題を抱えていると、一度は言われたことがあるかもしれない「病気(障がい)のせいにするな」
「言い訳に使うな」みたいな攻撃的な言葉であり、「病気(障がい)に負けるな」っていう思いやりを含んでいるような言葉でもあり。
いろいろな葛藤を生みやすいこの言葉。
言う方も言われた方も、もっと良い考え方があるのでは?と思うので、どちらの立場も気持ちも考えつつ、双方に向けて心理や解決法を解説していきます!
(今回は、病気や障がいを理由に人に許してもらうようなケースではなく、本人の行動や選択について病気や障がいのせいで躊躇してしまう、諦めてしまうようなケースについて解説します。)
- 「病気(障がい)のせいにするな」という意味のことを言われるせいで辛い。腹が立つ。悲しい人
- 「病気(障がい)のせいにするな」という意味のことを言った(言われた)せいで喧嘩や人間関係のトラブルになった人
- 身近な人が物事に対して積極的になれないことで、「病気(障がい)のせいにして逃げている」と感じる人
- 周囲によく「病気(障がい)があるからできない」「病気(障がい)があるから自分はこうなんだ」というような発言をする人がいて、もやもやする人
十代の頃に関節の難病を発症。
字が書けなくなり受験を諦めたこと、楽器をやめたことを家族からことごとく「病気だとか言って逃げてる」と言われ続ける悲しい青春時代をおくった。傷ついた。
でも今考えてみたら、十代の頃の自分は大げさに色々諦めすぎていたところはあったと思う。
家族とは今はそれなりに理解し合えている。
そんな25歳の難病カウンセラー。
※この記事内では決めつけが含まれる言い方をしてしまう部分が多くなりますが、一般化して説明するには必要不可欠なことでもあるので、ご理解ください。いろんな場合があると思います。
周囲の方へ。「病気のせいにして諦めないでほしい」と思ったら
病気のせいにしていると感じるかもしれませんが、事はそんなに単純なことではありません。
直接的に病気のせいで出来ない・困難なこと、病気に対する理解や必要な対応が得られないこと、病気だというプロフィールを背負うことの障壁、病気によるストレスや心理的な負担、 病気のせいで体験したこと、 病気を抱えてながら活動や場に対応していくことの大変さ、病気を抱えた自分として生きていくこと……etc
「病気だから」という一言には、そう見えるような状況には、本当に沢山の困難さや気持ちが絡んでいます。
その要素すべてを理解しようとする気持ちで、考えてみてください。
ほんとうに病気のせいでしょうか?
そもそも、「病気のせいなのかどうか?」を考えてもなんの役にも立ちません。

さやは個人的に、そこにこだわる人って正直「仮病?」って疑う気持ちがあるんじゃないの?「ずるい」とか思ってるんじゃないの?って喧嘩腰が発動してしまいます。卑屈なので。
行動はその人自身から出てくるものです。
「病気のせいか?」よりもっとずっと複雑な問題。
全体像と関連する背景をすべて理解しようとして考えてみてください。
病気や障がいによる問題部分に焦点を当てず、その人全体として捉えましょう。
確かに病気のせいだと思い込むことは起こりがち
病気という明らかな問題・障壁となるものを抱えていると、病気が関わったことをすべて「結局は病気のせい」と捉えてしまうことはあります。
これは、人間心理として普通の反応です。
細かい問題一つ一つを分析するよりも、大きな一つの問題として捉える方が心理的に楽だからです。
特に大きなストレスを抱えているときには、一つ一つの課題と闘うエネルギーが足りないために、大きな問題として安易に捉えやすくなるので要注意。
もしあなたが乗っていた船が転覆して、無人島に流れ着いたとしましょう。
無人島に流れ着いたあとで起こった問題ってすべて「そもそも船が転覆しなければこんなことにはならなかった」っていうことになりますよね。
無人島に流れ着いてから出来る工夫もあるし、頑張れることもあるでしょうけど、「ここ無人島な時点でもう無理じゃん!ダメじゃん!」と思うのも当然です。
もし一緒に流れ着いたグループ内に物凄い嫌なやつがいて、迷惑やら嫌な思いやらを散々させられたら、「アイツがいるから悪いんだ!」って思ってしまいますよね。
自分がもっと上手く対応できれば、嫌なアイツもそこまで問題にはならなかったかもしれなくても、「いやいやでも悪いのはアイツじゃん。諸悪の根源じゃん」って感じませんか?
そんなときに必要なのって、
「いや船転覆してもなんとかなるって!」「無人島に流れ着いたくらいでめげるなよ!」っていうことでも
「アイツもそんなに悪い奴じゃないよ」「アイツが悪くてもお前が頑張れよ」って言うことでもないと思います。
「起きたことは大変だったね。悪影響を及ぼす問題を抱えているのは大変だよね。でもそんななかでも頑張ろうよ」って励ますことではないでしょうか?
長くてくどい下手な説明で申し訳ないですが、この現象と同じようなことが起きていないか、本人に押し付けてしまっていないか、ちょっと考えてみてください。
本人が感じている「病気のせい」は認める
「病気のせいにして逃げるな!」という言葉に対して一言で返すのであれば、わたしは「逃げさせてくれよ」って返します。
病気のせいにして逃げているように見えるのであれば、その状態には理由があります。
病気のせいではないと思うなら、そのことを指摘して攻撃のような形で終わるのではなく、「病気のせいではないなら何なのか」を理解するべきです。
病気のせいかもしれないけれど「病気のせいで諦めてほしくない」なら、諦めなくても大丈夫な理由をちゃんと探すべきです。
「病気のせいにすること」自体を悪いことのように捉えるのは間違いです。

だって病気のせいだもの!!!!
本人が感じている病気のせいな部分を理解して、それに関してはそのまま受け入れることが一番大切だと思います。
そこを否定してしまうと、本人のためには絶対になりません。
精神面で、否定や反論は効果がないどころか逆効果です。害です。
また、本当に病気のせいで生じる困難を無視すると、精神的にも身体的にも悪影響になることが起きる危険性が高いので、そのリスクは負わない方が良いです。
たとえ「甘えすぎ」と思うほどのことだったとしても、本人の主張をすべて認めた上なら出来ることを考えられる人は少なくとも病気のせいにしていることが問題なわけではないので、すぐさま認識を変えましょう。
とにかくどんなケースでも、「できない」VS「できるでしょ」の攻防からは抜け出した方が良いです。
百害あって一利なし。
本人の「思い込み」を外したいなら
周囲の人にもやもやした感情を残しやすいのが、「本人が思っているほど病気のことは問題にならない」と思われるケース。
ちょっと脚が悪くて杖が必要だというだけで外出を一切やめてしまうとか。
病気のせいで一社に断られたから、もう就職活動をしないとか。
こういった場合にも、上記の「本人の感じている困難はそのまま認める」というのはまず役に立ちます。
なぜなら、本人が自分が抱えている問題と向き合えていない状態だからです。
自分の抱えていることを受け容れた上で立ち向かう準備がまだ出来ていないので、不安や臆病さから「やめとこう」となってしまっています。
闘う準備をして実際に立ち向かうまえに、まず安心感が必要です。
本人が認識している敵の強さを想定したうえで、「それでも倒せる敵だよ」と教えてあげるのが正解。
「敵、そんなに強くないよ!いけるよ!」って実際には戦ったこともない人に言われたって不信感が増大するだけなので、やめましょう。
そこまでしてあげる気がもしあるなら、本人の不安をすべて聞きとって、一つ一つの解決策を一緒に考えてあげればいいと思います。
あくまでも、一緒にね。押し付けず。
意見が正しいかどうかはもはや関係ないのです。決めつけ、押しつけ、ダメ絶対!
(倫理的なことじゃなくて、意味がないから。です。)
当事者の方へ。「病気のせいにして逃げるな!」と言われたら。
自分の人生の選択や日々の行動について言われたならば、はっきり言って無視していいです。
本人でなければそんなこと決めつける権利も判断力も持っていませんし、自分の人生は自分のものです。
良くも悪くも、結果を背負うのは自分自身なのに、決めつけて勝手なことを言ってくる人は勘違いしているだけです。

わたしの人生を体験してから言え。もしくは全面的にわたしの人生の責任を取る契約を交わしてから言え。とさやは思っています。どちらもムリです。
でも、親など自分の面倒を見てくれている人に言われると、相手にも関わることなのでグサーっと来てしまいますよね。
とはいえ、いくら何かしらの支援を受けていたとしても相手が自分自身の人生に口を出す権利はありません。支援で人の人生は買えません。売ってません。
もちろんそういうわけにはいかない部分も大きいですし、思いやりの範疇で支援してくれる人の負担を気遣うこと、気持ちや意見を尊重するのは自然なことです。
かといって、自分の人生を生きるのは自分なので、自分がどう生きていくかは自分で決めましょう。
それこそ、誰かに「そう言われたから」という理由で自分の選択や考えを変えるのは「その人のせい」にしたいだけです。やめましょう。
おすすめの主張・反論は、「病気のことを考慮に入れた上で、自分の意志でそうしている」と言うことです。
意志に対して反論してくるならなんぼのもんじゃーい!
もし自分の意志も決められないような状態でいるのであれば、そんなときにストレスやプレッシャーをかけてくるような人は何もわかっていない人である証拠です。
たとえ自分が正しいのかどうかがわからないとしても、少なくとも相手は正しくないです。
そもそも、「自分は病気のせいにして逃げてるのか?」なんてそんなどうでもいい疑問で悩まなくていいんですよ。
問題はそこじゃないので。
実際問題が大変なのにそんな精神論どうでもいい!
それに逃げたいなら今はそれでいい!!逃げちゃえー!!
病気のせいにしてるかどうかはどうでもいい!
まとめると、そもそも病気のせいにしているかどうかが問題なわけではないです!
言い方が悪いだけの役立たずな言葉なので非推奨。
なにか問題があるように思えるなら、病気のせいかどうかではなく、全体的に捉えるべき!
そして本人が感じている「病気のせい」はそのまま認めるべし。
否定は百害あって一利なし。
なにか意見があるなら本人の主張や立場は受け入れたうえで、言った方がいいです。

でも、一緒に解決策を考えるくらいの気持ちがないなら、人の生き方や行動にどうこう言うべきではないと思います。
というわけで言われて傷ついた方は無視してOK!
病気のせいにしてるかどうかなんて悩んでも意味なし!
っていうのがさやの解説。考えでした。
今回少々強めに意見を主張するところも多かったのですが、この記事はお役に立てましたでしょうか?
今回解説したようなことにはあてはまらないケースや難しいケースでお困りの方は、ご一報を!
対応した記事かんがえます。または、ぜひぜひ一度ご相談ください。
他にもこんな考え方や心理があるというご意見、ご感想、コメント欄やお問合せからご待ちしておりま~す。